子どもはいずれ巣立っていく。
そのとき、私はどんなふうに立っているだろう。
家族がいて、やりがいを感じる仕事があって、日々は穏やかで。
特別な不満があるわけじゃない。
それでも、心の奥に小さな違和感がある。
母でも妻でもなくなったとき、私は私の人生を歩けるだろうか。
35歳になって、そんなことを真剣に考えるようになりました。
誰かに依存するのではなく、自分の足で立てる自分でいたい。
今日は、私が”自立”という選択について考えはじめた理由を書いてみようと思います。

35歳、ふと立ち止まった日

このままでいいのかな、と思った瞬間
子どもたちが小学校高学年になって、
気づけば、休日の予定は家族より友達が優先になっていました。
「今日は〇〇と遊ぶから」
そんな何気ない一言に、ああ、大きくなったなぁと、うれしさと少しの寂しさを感じました。
毎日一生懸命で、
母である時間は濃くて、忙しくて、愛おしい。
でもそのとき、ふと胸の奥に浮かんだのです。
この子たちが巣立ったあと、私はどんなふうに立っているんだろう。
今は“母”という役割が、私の時間を満たしてくれている。
でも、その役割が少しずつ軽くなっていったとき、
私はちゃんと、自分の人生を歩いていると言えるだろうか。
不満があるわけじゃない。
不幸でもない。
それでも、「このままでいいのかな」と自分に問いかけた夜がありました。
そしてその問いを、見ないふりはしたくないと思ったのです。
”妻”でも”母”でもない、私の人生
私は母であり、妻である。
でも正直に言うと、いわゆる「The・お母さん」という自分には、あまりしっくりきていません。
子どもは大切だし、家族も大事。
それは揺るがない。
けれど、母という役割の中だけで自分を完結させたいわけじゃない。
ママ友の会話や、
「お母さんだからこうあるべき」という空気に、少しだけ息苦しさを感じることもありました。
私はもっと、
ひとりの人間として考えたり、挑戦したり、静かに好きなことを深めたりしていたい。
誰かのために動く私も本当だけれど、
誰のためでもなく動く私も、本当の私だと思う。
役割の中で生きることは悪いことじゃない。
でも、役割に守られているだけでは、いつか自分が空っぽになる気がしたのです。
だから私は、母でも妻でもあるけれど、それだけではない「私」を育てていきたい。
たとえゆっくりでも、ひとりでも立てる私でいたいと思うようになりました。
依存していたのは、私も同じだった

家族という安心に甘えていたこと
私はどこかで、今の家族の形が、このままずっと続く前提で生きていました。
深く考えなくても、
経済の土台があって、育児は分担できて、帰る場所がある。
その安心の中で、私は守られていた。
感謝していなかったわけじゃない。
でも、「もし形が変わったら」と本気で考えたことは、正直あまりなかった。
本当はわかっている。
どんな関係も、どんな安心も、絶対ではないということ。
それでも私は、
“今は大丈夫”という楽さの中で、見ないふりをしていたのかもしれません。
怖かったのは、ひとりになることではなく、ひとりで立てない自分でした。
依存していたのは、私も同じだった。
それに気づいたとき、少しだけ、目が覚めた気がしました。
自立は、誰かを切ることじゃない
自立したいと思うのは、離れたいからではありません。
一緒にいることを、自分の意思で選べる状態でいたいから。
もし今の形が変わったとしても、それでも私は立っていられる。
そう思える自分でいたい。
それは、相手を切ることではなく、自分の人生のハンドルを取り戻すこと。
誰かに委ねたままではなく、流れに乗ったままでもなく、
ちゃんと自分で選ぶ。
今が楽だから、安心だから、そのままでいいと目を閉じるのではなく。
どんな未来も選べる私でいること。
それが、私にとっての自立だと思っています。
自立のために、私が始めた小さな準備

まずは、数字を見てみる
覚悟といっても、いきなり何かを壊すことではありません。
私が最初にやったのは、家計の整理です。
毎月いくらあれば生活できるのか。
固定費はいくらで、削れるものはどれくらいあって、本当に必要なお金はいくらなのか。
正直、少し怖かった。
今の収入だけで考えると、「余裕」とは言えない現実も見えたから。
でも、不思議なことに、数字を見たら、漠然とした不安は少し小さくなりました。
何も知らない状態が一番怖い。
知らないから想像が膨らむし、できない前提で考えてしまう。でも、把握すれば「対策」に変わる。
それだけで、ほんの少し、足元が固まった気がしました。
未来の選択肢を増やす
次に始めたのは、
“もしひとりになったら”を具体的に考えることでした。
感情ではなく、生活として。
住む場所はどうするのか。仕事はどう広げられるのか。
自分の収入を増やす可能性はあるのか。
知らなかった制度や、働き方の選択肢。
自分にできそうなこと。
情報を持つだけで、心は驚くほど落ち着く。
未来が決まったわけじゃない。
でも、“何もできない私”ではないとわかった。
自立とは、いきなり強くなることじゃない。選択肢を持つこと。
そして、そのための準備を、静かに始めること。
私は今、その途中にいます。
ひとり時間は、私を立たせてくれる

あえて予定を入れない時間
私はこれまで、気づかないうちに予定を詰めていました。
仕事、家のこと、子どものこと。
やることはいつもあって、「忙しい」は言い訳にも、安心材料にもなっていた。
このままでいいのか。
私はどうしたいのか。
今の人生を、ちゃんと選んでいるのか。
ーーそれらに向き合うことが怖くて、あえて忙しくしていたのだと思います。
でも35歳になって、子どもたちの手が少しずつ離れはじめたとき、ふと、隙間ができた。
その隙間に、問いが戻ってきた。
だから私は、あえてひとり時間をつくりました。
予定を入れない。埋めない。
逃げない。
ただ、考える時間を自分に与えることにしました。
怖かったけれど、それが必要だとわかっていたから。
静かな時間がくれた気づき
ひとりでいると、今まで押し込めていた感情が浮かび上がります。
「このままでいいの?」
「本当はどうしたい?」
最初はざわざわしました。
でも逃げずにいると、感情は少しずつ形を持ちはじめる。
そんな時間に読んだのがこの本でした。
私たちの日常は”気分”によって左右されるといっても過言ではありません。
この本には、そんな”気分”を管理する習慣や考え方のヒントが綴られています。
私はこの本を読んで、まさに目の前が晴れるような気分になりました。
出来事よりも、自分の“気分”が人生をつくる。
その言葉を読んだとき、はっとしました。
状況を変える前に、自分の内側を見ていなかった。
向き合うことから逃げて、
忙しさでごまかしていただけだったのかもしれない。
誰かにどう思われるかではなく、正しいかどうかでもなく、
本当はどう生きたいのか。
その問いを持てることが、私にとっての自立の始まりでした。
答えはまだ途中です。
でも、問い続けられていること自体が、私を少し強くしてくれている気がします。
ひとり時間は、逃げない私を育ててくれる。
そしてそれが、私をちゃんと立たせてくれるのだと思います。
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これからは、私が選ぶ

私はまだ、何かを決めたわけではありません。
離れるとも、続けるとも、結論を出したわけではない。
でも、ひとつだけ決めたことがあります。
もう、見ないふりはしない。
今が楽だから。今は大きな問題がないから。
そうやって先送りにする生き方は、やめようと思いました。
家族がいることも、今の生活も、当たり前ではありません。
だからこそ、どんな未来になったとしても、自分で立てる状態でいたい。
女性は、弱くありません。
迷うこともあるし、揺れることもある。
それでも現実を直視して、準備を始めることができる。
覚悟とは、大きな決断をすることではなく、現実から目を逸らさないこと。
そして、
自分の人生の主導権を自分に戻すこと。
私は強くなりたいのではなく、自分で選べる人でいたい。
未来は、流れで決めるものではなく、自分が決めるものだから。



